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| 生命維持装置
大昔、自然は神だった。人間は自然を目の前にしては無力だった。ほとんどの人の生活が自給自足だったため、生きるか死ぬかは自然次第。だから自然を崇拝して、恐れていた。
そんな話はもう過去のものとなっている。今や人間は自然をコントロールできるほどになっている。天気だけはどうにもならないが、スーパーに行けばどんな肉や野菜でもそろう時代だ。
去った夏にアメリカのネバダ州に友達を訪ねに行った。ネバダ州はその面背の割には人口が少ない。フーバー政策のおかげで水と電気には困らないが、ラスベガス、リノを除けば田舎町、もしくは砂漠。砂漠の町の割には草木が多い。High
Streetには街路樹が茂っている。家には芝生が茂って、10分車を飛ばせば砂漠だとは思えない。
仕掛けは簡単。
木には一つ一つホース、草木はスプリンクラーがついている。彼らは人間がつけた生命維持装置無しには生きられない。
よく見てみると、街路樹の根元のホースは定期的に水を押しやっている。何時間かすると自動的に泊まる仕組みだ。その姿が痛々しくてならない。よほど大きな木で無い限り、根元のホース無しではとても生きられないわけだ。植物の生命力も水道の蛇口一つで左右される。砂漠中で人工的に生かされている木は自然の摂理に反している。ここでは自然も人間に支配されている。
木の根元に付いたホースを見ていると、うちのじいちゃんが死んだ時を思い出す。じいちゃんも顔に酸素マスクをつけ、スイッチ一つで生命を左右されていた。彼もこの目の前の木の生き方も自然の摂理に反している。それでも、彼もこの木も他の誰かの願いで生きている。それは論理的に正しいかもしれないけど、とても無理な生き方かもしれない。
砂漠の中の青々とした木を見ているだけで、いろんな出来事が頭の中で回想する。
生きることってどういう事なんでしょうねぇ。
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